夕風日記〜2人の子育てと心の記録〜

居心地の良い毎日を模索中。子育てやイラストのことなど。

3.11今日という日

去年、一昨年、3月11日のことを書いたかなぁと思って検索してみましたが見つからなかった。

 

私がここに書いていいものか判断がつかなかったからだと思う。。

今日は書こうと思います。

 

今日で8年。数字にすると長い期間だと思います。

でも被災した方はあの日の記憶は消えてなくなることはないと思います。ついこの間のことのように思い出すでしょう。

今も悲しみや恐怖を背負いながら生活している人も多いはず…。

 

私はあの地震があったころ東京の世田谷にいました。会社で仕事をしていると強い横揺れに、みんなで机の下に避難しました。いろんな備品が落ちました。

ひどい地震だったなぁと思いながら片づけをし、ディスプレイ用の貴重な器などをチェックしました。

 

阪神大震災の時に感じた縦揺れの衝撃はなく長い長い横揺れでした。

阪神大震災の時は大阪にいました)

その時はまだ津波のことやどれほどの被害が出ているかあまり気にせず、いつも通り仕事をしていました。

 

でも「さとみんさん!電車が止まるかもしれないから早めに帰りな!」と言われ保育園に預けている息子のことが気になり始め保育園に電話連絡をした記憶があります。そして震源地を知り、被害の大きさに驚いたのでした。

 

「保育園は大丈夫ですよ」

そう聞いてほっとしました。その時息子は1歳でした。

 

すでに電車は止まっていました。しばらくしたら動くのかなと思ったら全然動かない。

歩き始める人が出てきました。

 

私も歩きました。あの日はとても寒く凍えながら歩きました。

夕方5時半くらいから歩いたのかな…。あまり覚えていません。6駅ほど歩きました。時間は11時を過ぎました。

空腹と寒さと、辛かったけど、歩くうちに仲間が増え5人くらいで励ましあいながら歩きました。

多摩川を通り過ぎ、仲間のうちのお一人のご家族が車で送ってくださったおかげで12時頃には着くことができました。

 

息子は同じアパートの知り合いの方がご飯を食べさせてお風呂にもいれて寝かしつけてくださいました。

 

部屋に着いたら大きなタンスが倒れて食器が割れていました。

 

御礼を言い、家に帰ってもう一度寝かしてあげて…泣きました。映像を見て泣きました。

どんなに泣いても被災で命を落とした人の辛さを分かることはできません。支援することしかできません。

その年に娘を妊娠しました。

震災がなかったら今の娘の名前は付けなかったと思います。

 

哀悼と希望の気持ちを込めて付けた名前。

 

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我が家には小さな動物がいてみんなの癒しになっています。昨年秋にやってきたジャンガリアンハムスター。

 

背中をそっと触ると心臓のトクトクトク…という音を感じます。

 

生きてるんだなぁ、と実感する。

 

あったかいこんたろうです。

 

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朝の一枚パチリ。

カラカラ回るのに疲れるとこの場所に鎮座しています。たまに寝てる時も^ ^

 

どんな命も大切に。大切に。