holiday(仮)

居心地の良い毎日を模索中。いつでもお休み気分を忘れずに。

最近の日常①

昨年秋頃から始めたこと、多分習慣化したのでちょっと書いてみようかな。

Voicyという音声配信のプラットホームをご存じでしょうか。

 

ラジオみたいなものなのですが、その中で私が好きなエッセイストのパーソナリティーさんがいます。

その方の朝の習慣を聞いて感化されて始めたこと。朝散歩です。

 

何度か朝散歩はしていたのですがパートを始めてからやめてしまっていたのを再開したんです。(パートは昨年夏に退職)

 

そのパーソナリティーさんが毎日8千歩と仰ったので真似してみようと思って。

毎日ほとんど椅子に座っているので腰や肩が痛くなります。特に腰痛は深刻。

あと住んでいる街がアップダウンの激しい地域で、車も持っていないし足腰だけはなるべく鍛えておく必要を感じたんです。(年齢的にも衰えが始まっている)

 

平日朝6時過ぎに起きて20分から30分歩く。

数ヶ月歩いて気がついたのですが、歩いた日は調子がいい。

「歩いたぞ」という自信が自己肯定感のアップにいいのかも?

 

そして朝の静かな環境だと遠くの電車の音が優しく聞こえること

散歩中の家猫に会えるチャンスがあること

朝日できらきら輝く遠くの観覧車が見えること

 

こんな感じで新たな発見があります。

それらが私の日常になったことがなんだか嬉しい。

 

この時点ではまだ3500歩くらい。

家で家事をしたりして夕方には4500歩、

16時半に仕事を終わらせてお風呂のお湯をためる。その間にもう一度歩きに行きます。

 

夕方散歩は以前からの習慣です。

そう、夕方も私の日常を彩ってくれています。

 

時々会う柴犬の尻尾の先が黒い子は懐いてくれてる。

富士山が見える場所で自転車を停めて写真を撮る保育園帰りの親子、

遠くに見える団地から漏れる灯りを見て、今日も無事に終わったとほっとする時間でもあります。

 

お風呂に入る頃にはスマートウォッチを外すのですがこの頃には7千から8千歩になってます。

本当は純粋に歩き続けた歩数がそれくらいならいいのですが、今の私の生活ではこれが精一杯。

 

冬の朝は暗くて寒いのですがニット帽、ダウンコートとホッカイロの装備で行くと帰る頃には汗ばんでます。

 

この習慣が気持ちよく感じているので、睡眠不足や体調不良以外は続けるようにしたいです。

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f:id:msatomi304:20250111184644j:image夕方

 

 

私が私を慰める(心療内科から出た宿題)

忙しい毎日でブログがなかなか書けませんでした。

 

言い訳にしかならず、恥ずかしいですが…

 

文章に残したい気持ちは無くなってはおらず、来年は月に2回は更新したいと思ってスマホのリマインダー機能を使うことにします。

 

皆さん元気にしていましたか?

わたしの読者さん、何人くらいが読んでくれているんだろう。

一時期のランキングにも登録していないし、きっと僅かだとは思いますが、自分のためにも書いていこうと思います。

 

プラットホームを変えようかなとも思っていますが、もうしばらくここで。

 

・ ・ ・

 

医師から出た宿題が終わりました。

私が親から言われて今でも心に残っている言葉をいくつか思い出して、その時の気持ちはどうだったのか?では今のわたしが小さなわたしにどんな言葉をかけてあげるか。

 

それが宿題。

 

思い出すと涙が出てしまう私でしたが、克服できたように思います。過去に遡ることはなかなかハードです。

私が今でもチクリのトゲが抜けずにいる言葉のほとんどは母親、もしくは親ではないけれど学校の教師。

 

イジメられても先生はじめ大人から怒られたこと。

母からは勉強で勝てばいいと言われました。

 

掃除を頑張った日に、「掃除しました」と報告をしたら機嫌の悪かった先生に首を掴まれて床に顔を押し付けられたこと。

 

「不細工な子を産んだ」と母が祖母に言われた言葉をわざわざわたしに伝えたこと。

 

大人は平気で子供を傷つけてる。

誰にも褒められなくなった大人は子供を利用して自分の思い通りにしたくなる。

 

子供の評価が自分の評価だと勘違いする。

 

今のたくさんの大人が同じように子供の頃傷ついてきていると思います。

 

わたしは悲しい気持ちを悲しいままにしていました。

「悲しかったよね。あなたは悪くないよ」

 

そう言って抱きしめてあげたいです。

 

人に言われたことをそのまま受け取り、否定も拒否もできずに大人になりました。

異性に触れられても拒むことができないこともありました、

それでも自分を責めるのみ。

 

人には自分のテリトリーがあって、それが心であったり空間であったり。

大切なそのテリトリーに入ってこられないようにちゃんと拒否しなくちゃ。

 

わたしはわたしという大切な居場所を守っていきたいです。

 

また文章を書きますね。

ギャラリー巡り/外部刺激に強くなりたい

ある週末、1人で東京都内のギャラリーをあちこち巡りました。

 

行きたかった絵本作家さんの個展があったのと、しばらくアウトプットばかりな生活をしていたからです。

 

娘も行くかと誘ったけど人がたくさんいるからいいということで1人でサクッと行くことにしました。午後出発です。

 

場所は原宿、表参道、外苑前あたり。

 

都会です。

 

1番の目的のギャラリーは着いた時にはたくさんのお客さんで賑わっていました。

作家さんはサインでお忙しそう。

心の中で大興奮しながらじっくり作品を見ました。

 

「あぁ、こんなに自由でいいんだった。

原画はこんなに金箔がキラキラして綺麗だったんだ!」

感動がじわじわ胸に響きます。

 

普段小さなスマホで見るイラストよりもワクワクして大きなエネルギーを貰うことができました。

 

その後行った別のギャラリーでは作家さんとお喋りさせてもらいました。

 

営業についての話がとても勉強になりました。

イラストレーターって営業が苦手な人が多いと思いますが私もその1人です。

 

仕事の依頼をする人も依頼を受けて描く人も本来は対等であるべきなのになぜだかペコペコしてしまう。

 

 

たくさんお話しして汗だくになりました。恥ずかしい…

最近やっとこさ自覚したのですがものすごい人見知りなようです笑

なのでめちゃくちゃ緊張して、でもちゃんと話さねばと思って頑張ってしまうようです。

 

なぜ今頃気が付いたのか?それはうまく取り繕うことに慣れていたからかなと思います。

平気なふりをしていたら平気に見えるようになった、みたいな感じ?でも本当はすごく緊張しているし、体も疲れてしまう。若い頃は疲れを感じないだけの体力があったんだと思います。

 

自律神経が乱れるからか、汗は出るし胃腸の調子までおかしくなるという、、私の場合たくさん空気を吸うからか、胃腸がガスでパンパンになります。

 

そして都会はたくさんの刺激が楽しい分、目も疲れるし海外の方の独特の香りや路上喫煙所のタバコの強い匂いも感じて気分が悪くなりがちです。

 

昔からHPS体質ではあるけれど若い頃はそこそこ平気だったのになぁ。

結婚して出産してからの生活は活動範囲が減り家とスーパーと公園。

更にコロナ禍で家の中の生活メイン。

最近も家で仕事するのみ。運動は近所を歩くだけ。

 

都会の刺激の耐性が落ちてきたのかも。あとはまぁ年齢を重ねていろいろ弱ってるのもあると思う。

 

土曜日に都内に行ってから完全に回復したのは翌週の水曜くらい。でもなんとなく喉の調子が悪く今ひとつな今週です。いろんな刺激を受けてしまった^^;

 

刺激に慣れるためにはこまめに都会に行って人と話したりすることだろうか。

緊張しすぎる性格を治すことってできるのかな。

 

 

ヘトヘトになってもここに行きたかった。

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とても贅沢な時間でした。シティーベーカリー。

某有名コーヒーチェーンより圧倒的においしいです。値段もちょっと高め。

 

今週ももうおしまい。いろいろやろうとしていたことが終わりませんでした。

ずっと描いてるけど終わりがなかなか見えない仕事に取り掛かっています。

でもきっと頑張った。ノートに取り組んだことをしっかり書こうと思います。

 

 

 

 

自信がある人

皆さん自分に自信がありますか?

 

私は思い返すと「私は自信があるんだ」という人に出会ったことがありません。

そうではなく私から見た誰かの評価として「あの人はいつも自信があるよな」ということ。

 

私はいつもいつも自信がないと思っていました。

でも最近読んだ本に

『あらかじめ「自信を持つ」ということは現実には不可能なのです』と書いてあったことで腑に落ちました。

自信なんて考えなくていい、先のことはわからない。それよりも今しておかないといけないことがある。

そういったことが書かれありました。

(反応しない練習 草薙龍瞬)

そう、私は先のことを妄想してただ不安になっているだけ。

 

では私が思う自信がある人ってどんな人だろう。

いつも笑顔で元気で自分の発言をどんどん言える人。自分の思いを曲げないような軸のしっかりした人。

そんなイメージかな。皆さんはどう思いますか?

 

私は絵を描いてインスタグラムに発表しています。

最初はいいねの数に反応していました。数が少ないとあまり良くなかったのかな?と考えることもありました。

いいなと思って投稿した絵がそうでもない反応だったらよくない絵だと認定してしまう。完全に他人軸になってました。

(よくなかった、と思うのではなく「需要はないんだな」と反応する方が分析としてはいいのかもしれません。今はそんな感じで思ってます)

 

ある時私が投稿した絵のコメントに「あなたの絵は⚪︎⚪︎さんの絵に酷似している。商業利用にするならやめた方がいい。ファンサークルの間で話題になっている」と書かれていました。

びっくりして⚪︎⚪︎さんに問い合わせてみたら「ファンサークルなんて知らないしそのフォロワーさんも知らないです。そういった方をコントロールすることはできない、あなたの絵についても特に何かして欲しいこともない、見てくれてありがとう」というような内容のお返事をいただきました。

 

確かにモチーフや画材が同じというのはあり、ジャンルとしては同じなのかもしれません。それに私もその時は⚪︎⚪︎さんの絵が好きだったから影響も受けているはずです。もちろんその方だけではなく数多くの偉大な作家さんの影響を受けています。(これは誰でもそうだと思う)

 

この時私の心は揺れて落ち込みました。絵を変えなくちゃいけないのかな、と。

 

イラスト仲間に相談もしました。皆さん優しくて、そういうことを言ってくる人は絵の歴史や描くことを何も知らない人だからブロックした方がいい。自分もたまに言われる、そういった意見が多かったな。

 

この時なぜ私が落ち込んだのか今では理由がわかります。

それは私が他人の意見の方を優先してしまうから。他人が言う言葉が「絶対的」なのです。

 

これは前々回の記事にもあった「親から言われて今でも覚えている悲しかった言葉」が影響していると思います。

 

グラグラ揺れる自分の軸を立て直してくれるのはいつだって周りにいる優しい人たちです。

そうだよ、仕事の依頼が来るのも私がそれだけの力があるからなんだ(これも言ってもらった言葉)。

そんなふうに気持ちを少しずつ立て直しています。

 

そして「反応しない練習」に書いてあった「改善、集中、納得」を心がける。

外側に目を向けすぎずに自分に向き合う。この時間を大切にするようにしています。

 

ちなみにブロックしたそのかたはなんとなく知ってる人かもなと察しました。

アカウントはすでに削除されていると思ういけど、私が怒り狂ってブロックして逃げたと言うようなことが書いてあった気がする。全て妄想です。怖いですね。

 

でもこういったことがあったおかげであまり人の絵を見ることが減って以前より絵自体がぶれなくなったと思うし仕事も増えました。

 

誰かに何か言われたとしても「そういった意見があるんだね。でも私はこう思う」と強く思えるようになれたらなと思います

自分の気持ちを素直に。他の人の事は大切だけどまずは自分を大切に。

「誰かに何かを与える必要はなくて、自分の幸せを追求すればいい。そうしたら周りも幸せになる」

友人が言ってくれた言葉。

 

感謝の気持ちを忘れずにコツコツ絵を描いて毎日を大切に生きていたら「自信が欲しい」なんて思わないかもしれませんね。

 

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しぶり腹

*お食事中の方は控えてください

 

数日前からお腹がパンパンに張ってウエストがきついなと感じていた。

お通じは私は1日2回はあり便秘ではないはず。

でも昔からガスが溜まりやすく食事中や食後はしんどい日もある。(あと緊張してもお腹が苦しくなります。)

 

太ったのかなと思っておやつを控えたり夕飯を気持ち少なめにしていましたが一向に良くならず。買っておいたデニムもなんだか苦しくてもう着れないかもと残念に思っていました。やはりウエストはゴムのボトムスがよかった。しまった、、

白の綺麗目のデニムが欲しい人がいたら言ってください笑

 

少しずつお腹が重くなって鈍い痛みを感じるようになりました。

夜中も痛くてトイレに行ってみたり、日中も苦しいと思いながら数日過ごしていました。

軽く抑えると鈍痛がする…。

 

面倒だけど近くの消化器科へ行くことにしました。

そこの医者は威圧的なのでできるだけ避けたいけれど近くに消化器科がなく仕方なく行きました。

 

その日は機嫌が良かったのか丁寧に診てくれたなという印象。まずレントゲンを撮りました。

この時もお腹が苦しくてキツかった…。

 

レントゲンの結果を見てびっくりしました。

たくさんのガスが充満して排出されるべきものができておらず腸の中を埋め尽くしていました。(こんな話すみません)

 

嘘やろー!毎日トイレに行ってるのに!

 

どうも私の腸は一般より長いらしく、溜め込みやすいらしい。自分では毎日トイレに行ってるし便秘ではないと思っていても気づかない間にどんどん溜め込んでしまうようだ。そういうのをしぶり腹というみたい。たしかに便意はよく感じていた。

ただ溜め込んでしまう理由が病気によるものの可能性もゼロではない。恐怖の大腸検査をしなきゃいけないかもしれない。。

 

ひとまず排出するために通常の倍以上の下剤を処方されました。

3日間かけて排出し、またレントゲンで腸内を確認する。

 

月曜に再検査です。

1日目の今日は無事トイレに行けた。しかしまだ抑えると痛い。

 

こんな経験した方いますか?

大腸検査は検査よりも液体をたくさん飲まなきゃいけないのがしんどいと聞いたことがあります。

でもわたしも40代半ば。一度はやって見た方がいいかもしれませんね。

 

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腸やメンタルのためにも朝散歩再開しました。秋の空が美しい。

1日8千歩を目標にしています。

 

読んでくださりありがとうございました!

心療内科で出た宿題

現在の心療内科に通って1年と少し。

この病院では漢方専門の先生に診てもらっています。

 

最初に言われたひと言が今までにない発言で驚きつつも納得した記憶があります。

 

「みなさん、辛い、悲しいと言ってよく泣きます。なぜ泣くのか。それは自分でその感情を選んでいるからですよ」

と言われました。言われた時は結構ショックだったんです。

泣きたくて悲しいことを考えているわけではないと。でも帰り道に自分の感情を確認していたら確かに朝起きた時から悲しいことを自ら考えていたなと思い直しました。

 

ただそのような行動が止められない場合はやはりセロトニンが不足しているらしく、抗うつ薬が処方されました。(サインバルタの一番少ない量のもの)

 

医師は女性でふんわりとした雰囲気の方だけど、必要なことはばしっっと伝えてくれます。そして最後には笑顔で送り出してくれる優しい先生です。

 

で、最近私の調子がまぁまぁいいので「そろそろさとみんさんの不安神経症の原因となっている『概念』を塗り替えていくワークを始めましょう〜」と言うことで宿題が出たんです。

それは親から言われて今でも忘れられない言葉を3つ書き出していくこと。

 

人の概念は大抵は最初に接する親から植えつけられることが多い。そのことが心の傷となって大きくなっても別の形で自分を苦しめることがある。

これは誰でもあることだけど、自然とその傷を癒すことができる人と長い間できずに苦しむ人がいるようです。

 

私自身、去年自分のモヤモヤを深掘りする作業を行ったのですが、心の奥底にある本当の気持ち、それは親から「愛してほい」その気持ちがベースにありました。これって多分だけど多くの人がそうで、親から認めてもらって愛されたいという気持ちは自然なことだと思うのです。それが過度に行き過ぎると良くないと思いますが。

大きくなるにつれ「良い成績で周りから認められたい」「優しい人だと思われて尊敬されたい」「スポーツで1位になってみんなの憧れになりたい」という承認欲求は多かれ少なかれ人間の自然な欲求の一つ。でも思った通りに行かなくて激しく落ち込んだりする人と、頑張ったしよかった。次はもっと頑張ろうと前向きになる人と分かれるますよね。

 

たくさんの人がいる場所だと緊張したり、面と向かって話したりすると脇汗かいたり、エレベーターのような密室だとドキドキしてきたりします。

その原因はなんなのか?それは次回の通院で見つけて対処法や考え方の変え方を話すと思います(カウンセラーなみの手厚さに感謝)

そのために3つの親から言われて今でも覚えていることを整理しなきゃいけない。

この話を医師とした時に「そりゃ言われて悲しかったことはありますよ。でもその時の母だってしんどかったと思うから」

すると医師は「さとみんさんがお母さんのことを想う気持ちはわかります。でも今は小さなさとみんちゃんが傷ついた気持ちをちゃんと癒してあげることが一番大事なんです。だからお母さんの状況は一旦忘れて自分のことだけ考えてください」と言われました。

その時ポツポツと母に言われた言葉を思い出していたら自然と涙が出てきてしまいました。全く泣く予定もなく元気だったのに。

やはり深い傷が残っているのか?

 

うーーん。私ってあんまり人のことを責めたり怒ったりするのが苦手なんですよね。。子供の頃いじめにあったけど「あの子のお父さんはとても怖いから傷ついている。だから外にいるときは私をいじめているんだ」と思うと恨めないというか😅

そのあたりも親との関係性がひとつの原因かもしれませんね。

 

 

皆さんは親に言われて傷ついて無意識に心の蓋を閉じてしまったりしていませんか?

「別に一人でも楽しいし誰からも好かれなくていい」

「自分がいることで誰かが嫌な思いをするかも」

「自分の体調が悪くならない限り休めない」⇦これはちょっとある。風邪をひいてしんどくても熱が出ないから「熱が出ない限り頑張らねば」と思っちゃう

などなど。

 

しかしこう思うと自分の子育ても不安になる。悲しいことたくさん言ってきた気がするし。時々当時の自分の不甲斐なさを思い出し子育ての反省会をしています。気が付いた時点で子供達に「あの時は申し訳なかったごめんよー」と謝っています。。

子供って優しいから「ふ〜ん」くらいで流してくれる。本当ごめんよ。。

 

あんまり空気読めなかったりするASDの息子や知的発達が遅れている娘からはたくさんの学びをもらっている。

私が空気を読みすぎることが多くて疲れやすい時は「ま、いっか〜。自分のこと考えよ!」と思わせてくれるし、勉強しないと母から嫌われるかもしれないとネガティブに思うことも娘が好きなことをして楽しんでいる様子を見て自分のことを否定しなくてもいいのかなって思わせてくれる。

 

二人にはできるだけ自分で物事を選んで欲しくてある程度はお任せしています。習い事も勉強方法も自分で。最初は子育て本を買ったりしていましたが全く通用せず、むしろ自分を苦しめるだけでした。なのでもう子育ての参考書みたいなものを手にしていません。

 

話がそれました。

iPad用のワイヤレスキーボードを買ってからめちゃくちゃ快適になってたくさん書いてしまった!

読んでくださりありがとうございました。

 

 

 

遅かった反抗期を思い出す

昨日は自分と母の親子関係をなんとなく思い出しながらベッドに入りました。

 

一番心がしんどかった時期は海外駐在から日本に帰国した時期で私は35歳。夫は単身赴任。息子が小学校入学、娘が幼稚園の年中さんの頃でした。

 

帰国してすぐは日本の空を見てもスーパーに行っても素晴らしい環境だと感動のあまり涙が出ることもありましたが、気持ちのアップダウンが激しく今よりもっと落ち込んだり泣いたり怒ったりイライラして過ごしていました。

 

子供はなかなか言うことを聞いてくれないしその当時は息子が発達障害だとも思っていないし娘が知的発達が大幅に遅れていることも信じていませんでした。

無意識に”普通”であることを子供に求め、普通にちゃんとしたお母さんにならねばと必死でした。

責める気持ちになったり自分がダメな母親だと落ち込んだり、夫婦関係のズレを感じていました。夫は何も気づいてくれないと人のせいにして自分から成長したい、という選択をしなかった。

挙げ句の果てに大泣きしながら母親に何かをわめいていました(がーーん)

何を言ったか忘れましたが、多分「こんな私になったのはお母さんのせいだ」みたいなことを言ってしまった気がします。母は泣いてる私を抱きしめながら「そうや、お母さんが悪い。そうや」みたいに言ってくれた記憶があります。

 

一度も反発することもなかったしいつでも母の機嫌が良くなることを望んでいた私なので、多分これが遅れてきた面倒臭い反抗期なんじゃないかと今になって思います。

申し訳ないことをした。

 

「ごめんね。本当はお母さんのこと大好きだしお母さんのせいでこんな私になったんじゃないんだよ。」

 

あの時から特に謝ったりはしていないけど、親子だからかいつの間にかいつも通り。

今も母の機嫌を少しは意識しながら、それ以上に元気でいてねという思いでいっぱいです。

 

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この時のことを思い出すと今でも胸がちくり。泣きそうになります。あの時は辛かったけどこの経験がなければ自分を見つめ直す時期はもっと後だったかもしれない。そう思うとやはり必要な時間だったんだろうなぁ。(ちなみにまだ自分を見つめ直す深掘り時期第二弾でやや迷走中です…。でもこの時間は次の私のための耕す時期)

 

うちの息子は今は中学3年生。そんなに激しい反抗期はなかったけど、メンタルが不安定だったりぶっきらぼうだったりした時期から少し落ち着いてきた気がします。そして自分の部屋の片付けを昨日していました。奇跡です(´▽`)

やはり部屋の乱れは心の乱れなんですねぇ。